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創世記

 フィンランドの軍装の歴史は1918年の独立戦争にまで遡る。
当時、ロシアソヴィエト革命により勃発した内戦はフィンランド国内を赤衛軍と白衛軍に二分した。
彼らは私服に腕章や帽章によって敵味方を識別していた。その後、白衛軍の勝利により
内戦は終結したがスウェーデン、ソヴィエト二大国に挟まれたフィンランドは急速に
軍備を拡大する必要に迫られた。


Asetakki m/22

閣議を経て白衛軍はフィンランド国軍となった。
当初、彼らの軍装はイエガーと呼ばれる第一次世界大戦にドイツ軍として従軍したフィンランド人が
持ち帰ったドイツ軍軍服が参考にされた。
 1919年のm/19型を経て1922年に"asetakki m/22"が採用された。
このm/22型は制服と野戦服の2種類があり兵、下士官は粗いライトグレーのウール
将校はサージウールで作られ、襟は暗いグレーのウールで作られていた。


Asetakki m/27

 1927年、それまでのm/22型は防寒性と機能性が不足しているとされ
より機能的な野戦服"asetakki m/27"が採用された。
しかし、それまでの"asetakki m/22"に比べ無骨なデザインのため、礼装では
それまでの"asetakki m/22"が併用された。


Asetakki m/36

 それまでの"asetakki m/22"と"asetakki m/27"の併用から礼装、野戦に両用できる野戦服が求められ、ドイツのM34型野戦服を参考に"asetakki m/34"が試験的に一部部隊でテストされた。
その後いくつかの改良が加えられ1936年"asetakki m/36"が採用された。

"asetakki m/36"では将校、准士官のエポレット部分に兵科色のパイピングが施されていたが、1941年にこれは廃止される。

素材は、戦争の推移によりそれまでのウールサージ生地から目の粗いウール生地へと変更された。


kesäpusero m/22

(Quotation from private album)

フィンランドの夏は短いながらとてもウール服で過ごせる気候ではなかった。
そこでウール服とは別にコットン製の野戦服が採用された。m/22型夏服はグレーのコットン製で
ポケットはなく、三つのボタンで前を止めるプルオーバー型であった。


Kesäpusero m/32

m/22,m/27を経て採用された"kesäpusero m/32"はそれまでのグレーの生地からグレイッシュグリーンの生地に変更され、袖を2つのボタンで絞ることができる。


kesäpusero m/36

1936年、新たに袖を筒袖に、生地をm/22,m/27型と同様のグレーの胡椒生地に変更された。


Kevyt takki m/39-41

39

通常の制服とは別に将校は個人で勤務服を仕立てることができた。
m/22、m/27でもこれら常勤服は仕立てられm/39では素材は薄手のサージウール
襟は暗いグレーで当初は立ち襟であったが、専用の襟章を使用せねばならなく
1941年に"Asetakki m/36"などと同じ襟章を使用できるように折り襟に改修された。

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